2003.May/June SueG's Diary
今日、出社して請求書書きをするはずだったのが、専務の計らいで行かなくて済んだ。
助かった…(涙)。また熱出したからさ。って、熱は毎日毎晩出てるのね、ここんとこ。
ま、とにかく休めて良かった。頼れるなぁ、専務〜。
んで。さっき掲示板のバックアップを取ってたんだけど、ふと最初から見たくなって
見てたんだな、これが。…1年でずいぶんログがたまったこと(笑)。
思わず笑っちまうものとかあって、なんだか懐かしいなーって感じ。でもそんな昔じゃないのよね。
で。これは財産だなーって思った。自分の日記もそれなりの財産だけど、掲示板のみんなの書き込みって
本当に財産だよなー。 ありがたいよなー。
読んでるうちにね、最近のイライラとかそーいうのがなんかすーっと昇華されてく感じがした。
…おもしろいね(笑)。 どのくらいこうやってホームページを続けられるかわかんないけど、
地味〜に細々と続けられたらいいなぁ。真剣にそう思った。
たぶん、私のことを全然知らない人も読んでくれてるのかな…と思う時もある。
掲示板だって、常連さん(っつーか、同級生だな)以外の人も読んでくれてたりするのかなー…
なんて思うし。そういう人たち全部に、改めてありがとーと言いたくなった。
Kozuさんじゃないけど、「人はまわりに生かされてる」んだな。ほんとに。
いろいろあるけどさ。感謝の気持ちだけは忘れずに生きていきたいもんだ。
1週間たってしまった。これじゃあ、歳をとるのも早いやね(笑)。
仕事は相変わらず忙しく、出張組がやたら多いのでなんだかいつもに増して仕事量
が多い。
本当に退職すんのか?って感じ。…いや、退職するんだけどさ(笑)。
来週月曜に、常駐してもらうパートさんを募集するため(やっとこんなことをしている)、
新聞折り込みの「アイ○ム」の人に来てもらうことになっている。
しかし。フルタイムのパートさんって、すげー矛盾した言葉だ(爆)。
本当は常駐の人を置きたくなかった…っていうのが私の本音。まあ、会社のためにはいた方が
いいんだけどね。でも、また被害者をひとり増やすのかと思うと…(涙)。
まったくもって困った会社である。社員あっての会社なのにね。特にウチみたいな会社は。
永遠にわかんねーんだろーな…。ま、いいか。辞めるんだし。
そー言いながら、明日の午後出勤する私であった。ふ。
P.S...あずみさんのインタビュー記事発見。(って言っても私が発見したんじゃなくて、
ファンサイトの常連さんがみっけてくれたのだ)
おヒマな折、読んでみてくれるとなんか嬉しいかも。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/chat/2003/inoue/
歳をとりました。去年は会社休んで静養してたけども、今年は会社へ行ってフル回転してました(笑)。
負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、ここまで来ると歳をとるのも一種の楽しみである。
特に「40歳から運気上昇」と言われている私、実は今か今かと待ち望んでいると言っても過言ではない。
さ、がんばって歳とろーぜ!って感じ?(←頑張っても歳をとるのはやはり1年に1回である)
今年はとりあえず環境を変えることが決定しているので、それも楽しみつつ、相変わらずゆるゆると
行こうかなっと♪そのよーに思う次第でござる。
遊びが足りないぞ、す〜!!(爆)
ちゅーことで、遊ばせていただきますm(_ _)m。(←大した遊びはしないんだけどさっ)
掲示板では公言したが日記には書いていないので、一応書いておこう。
5月30日付で退職届を社長に提出、受理された。
ちょうど1年前にも会社を辞めるだの辞めないだのと皆様をお騒がせしたが(してない?)、
やはり限界を感じ、辞めようと決意した。
実は退職届は4月頃から用意してあったのだが、会社の状態を見るにつけなかなか出せずにいた。
しかし、己の精神状態及び健康状態が日々悪化の途を辿るのを感じ、とうとう提出したのであった。
言いたい事は山程あるが、愚痴にしか聞こえないだろうし、我慢し続けた自分にも非はあると思う。
そう思いつつ社長に退職届を出したのだが…。
やはり世の中的にかなり寛容だと自負している私にも、相容れない人間はいるのだと思った(笑)。
まず「退職届」を「退職願」にしなかったことを独り言のように、しかししっかり私に聞こえるように
ひっかかっていた。こっちはワザと「退職届」にしたとゆーのに…。
(誰がアンタにお願いなんかするか!っていう…(笑)。大人気なくてスマン)
そして知る人ぞ知る、忘れもしない2001年10月28日の例の事件が私の精神状態&健康状態に
相当のダメージを与えている旨を伝え、それについては「悪かったなぁ…」と謝っていた。
そりゃそーだ、あれは誰が見ても誰に話してもアンタが悪い!と言いたかったが、我慢した(笑)。
しかし。昨年それが原因で会社を休みがちだったことや、今でも回復しないことになると、
「本当だったら辞めてもらうとこだったんだよ」とか「○○部長(取引先のアル中おやじ)なんか、
そんな休んでばっかりいるヤツなんか辞めさせちゃえ!って言ってたし」とか、まるで私を今まで
会社に置いてやってたと言わんばかりの発言をしおった。…アタマきた。
だ〜れ〜の〜せい〜で〜こうなったと思ってる〜?!
訴えてもいいんだぞ、おりゃ。
…こっちはなー、今でも夢に見るんだぞ。先物取引屋が会社に乗り込んできた時に私を盾にして、
テメーはトイレの方に隠れてて、少し静かになったら壁から顔だけ出して「…もう行ったかなぁ?」
って言ったアンタの顔を。 一生忘れないぞ、きっと。執念深いからな、私は。わはは。
だいたい人として問題あるだろー、それは。それを大騒ぎしてやらなかった私も悪かったけどさ。
あの時、庇ったりしないで突き出してやりゃー良かった…と今になって思う。
警察まで呼んでさ。警察にまで「社長は不在です」ってウソ言わされてさー。
ウソつくの嫌いなんだよ、私は。アンタと違って。
…とまあ、こんなことがあって1年半も我慢し続けた私も悪かったけどさ。
やっぱ、人の性格っていうのはそう簡単には変わらない。
その証拠に、自分で種蒔いて人に始末させる…という行動パターンは直らない。
何より、私がちゃんと指摘しなかったから、反省することもなかったのかもしれない。
それは私が反省すべき点であることは確かである。
もうすぐそのトラウマから解放される日が来る。(と思う)
生業として働くことに楽なものは無いと思うけど、やはり人間としてついていけないものに
我慢してまでついていくことはないと考える私にとって、やはり今回の転職は必要不可欠な事柄である。
それにしても。一日も早く辞めたいものである(笑)。
マジで求人かけないと、引き継ぎしないで辞めるぞ、わたしゃ。
先週末あたり、2度続けて黒い便が出た。(汚くてスマン)
わ〜真っ黒〜♪なんて思っていたが、それを親に話したら「血便?!」とゆーことになり、
本日また胃腸科へ行って参りました。
今日は予告なしで行ったし、混んでたので胃カメラは飲まないな〜と思いきや。
「今日、内視鏡で、便は出た時に取って持って来て」との先生のお言葉。
やべー。何が「やべー」のかとゆーと、内視鏡はお金がかかる。
今日すぐやるとは思っていなかったので、財布の中には5000円だけ。
至急、母にSOSの電話をし資金を注入してもらった(笑)。
銀行へ行ってる時間もなかったもんで。(←言い訳)
とゆーわけで、5回目の内視鏡。でもバリウムは飲んだことないのよね〜私。
ちょっと今回は苦しかったけども、無事終了。
診断結果は、「胃酸過多による胃潰瘍の初期」だそーです。
まだ生産過程なので、生産中止の命令が下された(笑)。
さて、何度めの胃潰瘍だろー…。自分で治したものもあるらしいから、実際のところはわからないなー。
まあ、初めてのことでもないので慌てることもなく、もちろん入院なんてしないで治せるからラク。
…ホントはちょっと入院したかったかも(笑)。なんて言うとバチが当たりそうだけど、
今の私はそれくらい疲労困憊している。ちょっと自宅療養しよーかなぁ…。
結局、今回の診断では出血する箇所は見つからなかったので、便の検査待ちってことに。
でも便秘なのよねー、私。今日で3日出てないからなあ。明日あたりは出てもらわないと。
日頃の健康診断も受けるように…と言われた。区でやってるのとかを全部使えって(笑)。
なんでも練馬区は住民税が他より高いらしく、その代わり健康診断とかは充実しているらしいので、
使わない手はないよ〜!だって(笑)。確かに言われる通りだなーと思った。
とりあえず検査しといて、安心してりゃあ気もラクだしね。
とゆーわけで、午後は会社へ行って仕事してきたす〜でした。
胃潰瘍生産ラインはストップ!とゆーことで(笑)。
5月19日にくも膜下出血で倒れた母方の伯母が、2回の手術の甲斐もなく6月4日に永眠しました。
掲示板等で皆様に冥福を祈っていただき、心から感謝します。ありがとうございました。
伯母にはもっとしてあげたいことがたくさんあった。
母と仲が良かったから、母と一緒にもっといろんなこと、もっと楽しいことをするつもりでいた。
でも叶わなかったね、おばちゃん。すごく残念だよ。悲しいよ。
その代わり、いろんな思い出を残していってくれたね。
倒れるほんの一週間前に、母の日に贈ったお花の額をすごく喜んでくれたね。
それだけは、間に合って良かったって思ってる。
同じものがうちの居間に飾ってあるけど、見る度におばちゃんを思い出すと思う。
…もうちょっと長く、生きていてくれたら良かったんだけどな…。
しかし。ホームページを作るようになってから、何人の人を見送っただろう。ふとそう思った。
なんか人より多いような気がするのは私の気のせいだろうか…?
今回の伯母の件で、自分の人生についていろいろ考えるようになったけれども。
人は何の為に生きるのか…ではなく、人は生きる為に何かをするのだ、と思う。
この星に生を受けること事体が奇跡であるなら、その受けた生を、その命をつないでいくのは
容易であるわけがない。なにしろ、命の存在そのものが奇跡なのだから。
そう考えると、自分なりに精一杯生きればそれだけで充分なんじゃないか…と思える。
誰と比べるものでもなし。今際の際に、自分自身が「ま、いっか」と思えればそれで上等。
…まあ、そこがなかなかそうは思えないような気がしてしまうのが人間ってもんなんだろうけど。
我慢するとこはしなくちゃいけないと思う。でもそれが健康に響いてきたりしたらそれはマズイ。
なにしろ、生き長らえるのが使命である。だからそこでリセットをかける。
無かったことにはできないけれど、忘れることはできる。そこはうまくできている。
そうやってぎりぎりのところで生きてくのが人間、いや生物ってヤツなんだと思う。
私は、自慢じゃないがいろんなことにピリオドを打つのが下手である。
しかし、己の命は己で守るしかない。だから、これからはもっと自分のことを大事にしよう。
それが他の人にも心配をかけない、迷惑をかけないことになるのだから。 ね。
思うところがあって、勉強を始めた。…とは言っても学校に通うでなし、通信教育をやるでもなし。
いわゆる独学ってぇヤツである。
何故に独学を選んだかというと、通信教育はまず続いた試しがない。学校に通うには体力がない。
そんな「ないないづくし」な私が勉強するには独学しかないのだ(笑)。
高校の折り、うーどんから「見かけ倒し」の称号をもらった私だが(あまりに図星だったため、大爆笑した私。
さすがう〜どん、観察眼は当時から鋭かったぜ )こんな歳になってまで「見かけ倒し」ではいかんと思って、一念発起。
というと大袈裟だが、とりあえず私らしく、ゆっっっくりゆっくり鈍行列車のように進んでいこうかと思っている。
大人になってからの勉強の方が、覚えは悪くなっているがやる気は出るもんだな。
本日、う〜どんの新居で秘密の会合が催された。(秘密のわりには参加予定人数18人…(爆))
前日あたりから相変わらず週末体調を崩す私は、ちょっとヤな予感はしていた(笑)。
そしたら案の定、その夜に高熱。次の日も幾分か熱は下がったものの、とてもだるくて外出できない。
とゆーわけで。ドタキャン大魔王は今日もドタキャンしてしまったのであった。
デジカメ担当だったのに行かなかった為、貴重な映像は残っていません。申し訳ない…。
顔を洗って出直すか…。
何かあったら、すぐに携帯に電話してね!と母に頼んで会社へ向かう。
今日の伯母の手術は、予定では5時間かかる大手術になる。
会社で仕事をしながらも、いつ電話がかかってくるのか…手術は順調に進んでいるのか…
そんなことがふっと頭をよぎる。
ところが、定時になっても電話なし。とりあえず定時に帰る支度をし、バスで家に向かう。
降りたバスの停留所で(自宅から徒歩15〜20分)すぐに家に電話をかけた。
「どうだった?」「手術、成功したって!でも歩くことはもうできないかもしれないらしいけど…」
それでも答える母の声は昨日までと違い、どこかホッとしたような感じだった。
夕暮れ時、携帯で話しながら涙が出て来た。もちろん、気が抜けたから…なんだろうね(笑)。
例えば。自分なら延命治療なんてまっぴらだと思っている私。
しかし、身内が危篤…という知らせを聞くと、どんなんでもいいから生きていてほしいと
切に願う。人間なんてそんなモノなのかも知れない。
自分が今、取りあえずは生命の危機にさらされていないから言える事なのかもしれない。
今回、そう思った。
そして、今回の伯母の件で、今まで考えていなかった事を考えるようになった。
伯母と母は殆ど一回り違うので比較するものではなのかもしれないが、うちの母だって
いずれはこういう危機に見舞われることだろう。
そんな時、私は何ができるのか。そして、その前に私は両親に何をしてあげられるのか。
我が家はちょっとフクザツな御家庭なので(笑)、親から残してもらうような財産はハッキリ言ってない。
これから、私が両親を養っていくのである。そうなると、やはりきっちりとした人生設計を考える必要がある。
今回、本気で考えるようになった。こんな歳になるまで考えなかったのも問題だけども(笑)。
とても今の状況では両親を養っていけるだけの体力がない。
今年は年女だし、けっこう崖っぷちに立たされているので、ここはひとつ大勝負にでないといかん。
そんなことを考える今日この頃である。
伯母さん、とにかく命をとりとめて本当に良かった…。
今日、両親が伯母の入院している石巻の日赤病院へ行ってきた。
伯母はICUに入り、意識はあるようなないような…という状態だったようだ。
ただ、耳もとで母が「がんばらいんよ!(←東北弁で「がんばんなさいよ」)
また美味しいもの食べにいくんだから!」
と言った時に、うっすら涙を浮かべて動かないはずの右手の小指を動かしたという。
動くことはできないけど、聞こえているし考えることも、人の言ったことも認識できているのだ。
そして今日、病院側がダメもとで2度めの手術を明日決行することにしたということである。
なにもせずに見ているだけでは、医者の方も納得いかないと思ったようだ。
以前、医療関係の職に就いていた従兄(伯母の息子)が、後頭部からの 手術ができるはずだ!と粘った経緯もある。
それを聞き、私もその可能性を信じることにした。伯母は絶対助かる!
なにしろ、まだ一緒にいろんなことしようねって約束してたんだから。
今日は母の病院での検査(3科ハシゴ)の付き添いの為、会社を休む。
今日の休みの分は17日(土)に休日出勤してあるので気がラク。
こーいう時、有休がはっきりしていない(たぶんおおよそかなりの確率で違法だと思う)会社は困る。
自分が病気にでもならないと休めないなんてあり得ない…。
一日中病院にいて、かなり疲れた。特に鬱状態最高潮の私にはきつかった。
もちろん、立続けに検査した母も相当疲れたようだった。
そして、帰宅した自宅に1本の電話。石巻の母の姉、私の伯母が夕方くも膜下出血で倒れた…。そんな知らせだった。
一昨日、電話で話したばかりの伯母がそんな…。
11日の母の日には、娘のいない伯母にカーネーションを贈るのが毎年の行事になっていて、
今年は特に良いものが贈れたので(元P社の先輩が開業しているフラワーショップで作成していただいたもの。
かなりの芸術品!)伯母はいたく喜んでくれて玄関の一番目立つところに飾ってくれていたらしい。
話によると、すぐに救急車で運び、手術をしたのだけれども、奥にあるところにまだ血が溜まっていて、
それを取るには非常に危険な手術をしなければならない。その手術をする体力が伯母に残っているか…。
しかしそれをしないと3日もつかどうか…という話だった。
母の兄弟は全部で9人。そのうちひとりは子供のうちに亡くなっていて、実質8人兄弟。
その中で、うちの母は末っ子である。もちろん順番があって、もうすでに5人が亡くなり、
すぐ上の兄(伯父)とひとりはさんでその上の姉(伯母)と母の3人しか残っていないだけに、
今回の伯母の危篤状態は、うちの母にとってとてもショッキングな出来事だった。
増して自分は一日かけて検査を受けてきて疲労が溜まっているところ。
私としては伯母のことも心配しながら、正直、うちの母のこともとても心配になった。
両親は明日、伯母のところへ日帰りで行ってくると言う。
本当なら私も行きたいところだが、仕事が溜まっているのでそうもいかない。
じれったい気持ちを抑えつつ、カミサマでもホトケさまでもなんでもいいから、伯母を助けてほしい。
そう思って眠れない夜を迎えている。
ウツ最高潮の今週。昨日はあまりのウツで会社を休む。(ついでに風邪もひいていたので発熱あり)
こうなると薬も何も効かないのが厄介である。効くのはあずみさんの歌くらい。(←マジ)
地道に少しずつ集めているあずみさんのCDを聴きながら、やっと眠れる…そんな日が続いている。
ヤバいな…これから毎年こうなのか?…そう思うと、憂鬱だ。
原因は殆どわかっているのに、行動に移せない自分がイヤだーーーーーーー。
そんな困った毎日を送る、おバカなすーでした(T_T)。まだアタマ痛いよお。
この1週間でも日記に書くネタがいくつかあったのだが、昨日、頭部を強打し忘れてしもた。
かがんでから頭をあげる時、棚の戸を開けていたのだがそれが自然に少ししまっていたのに気付かず、
角に思いっきしぶつけた。血を見た。…イタイよお(T_T)。
昨日はその直前に、いつもはコケないようなところでコケたんで、やはり調子がそーとー悪いと見える。
とりあえず、しばらく頭を洗ってもガリガリできないなー。
なかなか情けない週末だった。ウツ倍増だあ。 くそお。
…御無沙汰しております。10日以上のおサボりでございます。反省しております。
なんちってな〜♪(←ほとんど反省していない)
月末、いつもの『アレ』のおかげで精神状態・体調共に最悪な時間を過ごし〜、
GWとはいうものの、とても休んでいられない状況だったもんで、休みと言えばこの3〜5日の
3連休のみ。ニュースで耳にする『大型連休』とは無縁でござった。
…ま、その方が私には良いのかもしれないけど(笑)。
そんでそんで。日記をしばらく書いてない間に変わったこと。それは私の部屋の音楽環境。
何が変わったかとゆーと。今まで完全にiMacのみで音楽を聴くように整備してきたのだが、
突然、そうもいかなくなってしまったのである。
…と、こう書くと何事が起こったのか?って感じだけど(笑)。
事の発端は、オークションで例により井上あずみさん関連のものを物色していた時である。
おお〜っ!!アイドル時代のデビュー曲及びシングル3曲目のレコードが出ている!!!落札せねば!!!
(あずみさんはアイドルとしてデビューされているのであった…。今日子さんたちの1年後輩になるんだなー)
…とゆーことである。つまり。レコードを手に入れてしまったから、である。
そう言えば前に、うさ姉が「レコードをいっぺんに処分した」話を掲示板に書いておられたが、
私はここにきてその逆をやったことになる(笑)。
さて。レコードを手に入れたからには、それを聴ける環境を作らなければいけない。
こういう時の勢いというのは怖いもので、自分の行動力がこんなだったのかー…とあきれてしまう程。
よく知らなかったんだけど、ターンテーブル(いわゆるレコードプレーヤーだな)には色々あって、
アンプに繋がない場合は『フォノイコライザー』若しくは『フォノアンプ』内蔵のものを選ばなければ
音が鳴らない。 当初、ターンテーブルをいきなりiMacに繋ぎ、音を取り込んでしまおうと考えていた私は、
とりあえずオーディオテクニカ製の『フォノアンプ内蔵ターンテーブル』(新品)を手に入れた。
思った以上に安価だった(笑)。
レコード、ターンテーブルが揃った。さあ、とりあえず聴いてみよう!と、ヘッドフォンで聴いてみる。
ボリュームがついてないので音は小さいが、ちゃんと聴こえる。(←聴こえなきゃ困る)
…なんか感動〜。 ついでに今まで聴けなくてしまいっぱなしだったレコードも聴いてみる。
懐かしい…(涙)。そして、私を駆り立てたのは母所蔵の『ベニー・グッドマン物語』のレコードだった。
母が若かりし頃のものだから相当年季が入っているのだが、これがまたシブイ。シブすぎ。
これは私の主観だけれど、あの年代のスタンダードJazzはレコードで聴くのが一番だ。
レコードに針が落ち、そしてあの独特の音(ノイズとも言う)が、郷愁を誘う。
CDにはない味だな〜…。
…そして私はレコードからPCに音を取り込むのをやめよーと思った(笑)。
サブウーファースピーカーを揃え、(2000円也(爆))、色々と(極力お金をかけず…←ここが重要)
揃えた結果、立派なアナログオーディオ環境の出来上がり♪
ちょっとムカつくことに(笑)新しいiPodも出たことだし、世間に逆行するのもまた楽し。
そんな感じで、なんだかんだ結構楽しんでおりましたす〜でございます(笑)。
今度はどっかにしまいこんであるたくさんのレコードたちの発掘作業をせねば…。
かなりレアなものが埋まっているハズ。これもまた楽しみだったりするのね。へへ。